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| 名前:青木聰一 |
| 入社時期:2002-07 |
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みなさん、こんにちは。私は、ブリッジSEの青木と申します。私は、2002年7月よりブリッジSEの担当となり、同年9月に訪中しました。以来、約二年間にわたりブリッジSEを担当しています。ブリッジSEの仕事は、一言でいえば、日本と中国との仕事を円滑に進めるために何をするかを考え実践することです。
この二年間、私は、公司の皆さんと一緒にソフトウェア開発を行ってきました。
私が公司の皆さんと仕事をして最初に感じたことは、こちらの考えていることを相手に理解してもらう難しさでした。
私は、中国語はまったく話せませんでしたので、担当者との話し合いは日本語がわかる人を通して相手に伝えることとなります。そのため、相手に正しく伝わっていなかったりということもありました。
また、仕様書を読んで理解することも時間がかかります。日本人であれば、多少言い回しが難解な仕様書でも何とか理解できたりしますが、公司の皆さんの場合は、書かれている内容を理解するための質問が多く出されました。
二年経過し、だいぶ仕事もスムースにできるようになっていると思います。今、私が考えていることは、将来ブリッジSEがいなくなっても、公司の皆さんが引き続き日本の仕事をこなして発展していけるためにどのような準備をすべきかということです。そのための素地を築けたらいいと思っています。
これからも公司の皆さんとともによい結果を出せるような仕事をしていきたいと思います。 今後ともよろしくお願いします。
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| 名前:柳金鳳 |
| 入社時期:1997-06 |
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私は、1997年6月に北京索浪に入社致しました。この6年間における会社の成長、発展には著しいものを強く感じています。一つはお客様との関係が強くなっていること。もうひとつは、会社自体が大きくなってきていることです。
私が入社した当時、会社の従業員はおよそ20名程でした。従業員の大半はお客様に出向していて、社内での開発は新入社員6名を含めて8名程でした。主なお客様は北京日立様、NEC-SI様ですが、当時弊社はまだまだ規模が小さく、技術力や日本語のレベルも低く、社内の開発作業量は少なかったと思います。
それからの二年間は、社員一人一人の努力の結果、全体の技術力が向上し、作業量も徐々に増え始めて、会社の規模も大きくなってきました。当時の社内教育制度はほとんど無いに等しく、社内の技術交流も非常に少ない状態でした。それ以上に日本語教育はかなり弱かったと思います。一年に数回の社員募集を行いましたが、毎回集まるのは少人数でしたので、毎日の仕事はとても忙しかったのを覚えています。また、不定期な日本語トレーニングがあったようでしたが、せいぜい標準日本語初級(上)の第七課まででした。私は独学で、標準日本語初級(下)まで勉強しました。
1999年8月に私は北京日立様に出向いたしました。それから約4年間はずっと出向しておりましたので、社内開発にあまり参加しませんでした。但し、会社の引っ越し、社員の増加、その上、2002年から新入社員に対する3ヶ月ぐらいの新人教育の導入などを聞きました。
2003年6月末に自社に戻りました。その時の社員数は1997年のおよそ4倍にあたる82名になっていました。技術交流も実施しておりますし、日本語能力試験3級向けの講座もありますし、毎朝15分間程度ですが、日本語の会話練習もあります。それを見て、会社の成長を強く感じました。2004年8月には新入社員(32名)が入社し、
総勢130名となり。
新人研修の内容も、もっと充実するそうです。技術面、日本語面共に専門の講師もおりますし、協調性の研修もあります。その上、研修後に試験も実施します。私が入社した当時は、そういう研修の制度が無かったので、今年の新入社員が非常に羨ましいです。
これから、お客様の良きパートナーとして、私たちも一層の努力をし、会社の発展のためにがんばって行きたいと思います。 |
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